2017年9月20日水曜日

【harappa Tsu-shin】第25回harappa映画館「忘れられない女性たち」開催しました♪

9月16日は第25回harappa映画館「忘れられない女性たち」の上映会でした♪
今回の徐上映作品は、

〇『キャロル』
監督:トッド・ヘインズ
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、ジェイク・レイシー2015年 /アメリカ/ 118分
〇『あの日のように抱きしめて』監督:クリスティアン・ペッツォルト出演:ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルト、ニーナ・クンツェンドルフ2014年 /ドイツ/ 98分
〇『ダゲレオタイプの女』監督:黒沢清出演:タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリビエ・グルメ、マチュー・アマルリック2016年 /フランス・ベルギー・日本/131分

以上の3本立てでした♪

アンケートに、「ポスターの女性に惹かれてチケットを購入した」というご意見もありましたが、
今回の上映のテーマが「忘れられない女性たち」というだけあって、
どの映画にも魅力的な女性たちが出てくるのです!!

 上映の前には、作品についてのちょっとした豆知識をお話♪

今回はいつも以上にたくさんの方々に足をお運びいただいて、本当に嬉しかったです♪

3連休の初日という貴重なお時間に、harappa映画館にお越しいただいた皆さま、
本当にありがとうございます!!
「まちなかに映画館を!」というスローガンのもと始まったharappa映画館ですが、
今回で25回目を迎えることができました!
皆さんのアンケートでの熱いメッセージを読んでいると、
いつか本当にまちなかに映画館が戻ってきてくれるといいな、、、
と願わずにはいられません。
harappa映画館もひとまずは30回を目指してがんばりたいと思います!!

また次回の上映会が決まりましたらharappaのHPなどでお知らせしますので、
楽しみにお待ちいただければと思います♪


(harappaスタッフ=太田)

2017年9月11日月曜日

【越境するサル】№.161「酒井充子監督『台湾萬歳』、台湾三部作最終章へ」(2017.9.11発行)

酒井充子監督のドキュメンタリー映画『台湾萬歳』(2017)を観るため、青森市(シネマディクト、9/915)に出かけた。イベントで賑わう日曜の街を横目で眺め、いつもの映画館にいつものように向かう。待ちに待った酒井監督の新作。少し緊張している自分がいた

 
          「酒井充子監督『台湾萬歳』、台湾三部作最終章へ」

   『台湾萬歳』の舞台は台湾南東部・台東縣成功鎮。多様な民族が暮らす人口約225千人の台東縣、成功鎮は原住民族と漢民族系の人々がほぼ半数ずつ暮らす人口約15千人の町だ。もともとアミ族が暮らしていた地域に、1932年(昭和7)年漁港が作られ、それ以降日本人や漢民族系の人々が移住してきた。いまも続く「カジキの突きん棒漁」は日本人移民が持ち込んだものだ。
   映画の登場人物は5人(5組)。
   元カジキ漁・漁師の張旺仔さんと妻の李典子さん。張さんは19歳でカジキ漁船に乗り、30歳から病気で引退する49歳まで「カジキの突きん棒漁」漁船の船長を務めた。現在は畑仕事を日課とし、午後には港で船から魚が降ろされる様子を眺める。日本人が名付け親だという妻の典子さんと共に、長男夫婦と暮らす。
   「カジキの突きん棒漁」を営むオヤウさんと妻のオヤウ・アコさん。成功漁港からいまも夫婦でカジキ漁に出るアミ族の夫婦。アミ族はかつて漁港築港の際、労働力として駆り出された。夫婦で漁をするシーンは圧巻である。
   中学校の歴史教師カトゥさん。シンガーソングライターでもある。ブヌン族の伝統的な狩りをいまも続ける。地元のお年寄りからの聞き取り調査も行っている。彼の歌とギターがこの作品の中でひとつのアクセントになっている。
   ブヌン族のムラス・タキルダン(日本名:きよこ)さん。日本統治時代、ブヌン族はもともと住んでいた高地の村から強制的に移住させられたが、その移住経験者の数少ない証言者。カトゥさんに移住当時のことを話す。
   ブヌン族のダフさん。カトゥさんと共に伝統的な狩りをいまも続ける。彼らが森に入るとき先祖に捧げる祈りのシーンは、この映画の核心のひとつである。また、ダフさんの狩人としてのたたずまいとその確かな技量は、見るものを圧倒する。
   この5人(5組)の生活を淡々と描く『台湾萬歳』は、随所に歴史に翻弄された人々の悲哀や日本統治そのものへの冷静な視点などを交えながら、ひとつの「人間讃歌」に仕上がっている。いつのまにか私たち観客は、台東縣成功鎮を中心とする小宇宙の中に吸い込まれ、登場人物たちと共に呼吸し生活しているような気持になる。そして、エンドロールが流れ映画が終了したあとも、私たちは依然、その小宇宙の中にいる…  

   新聞社勤務(北海道新聞)を経て2000年から映画の制作や宣伝に携わっていた酒井監督の初監督作品は『台湾人生』(2009)。日本統治時代の台湾で青春期を送った「日本語世代」の5人の台湾人が語るそれぞれの半生。彼らへのインタビューで構成されたこの作品によって、私たちは歴史に翻弄された人々の人生と日本に対する複雑な想いを知ることとなった。
   その後、日本最初の超高層ビル霞が関ビルをはじめとする数々の超高層ビル建設に関わった、台湾出身の建築家・郭茂林を取材した『空を拓く  建築家・郭茂林という男』(2012)を監督した彼女は、『台湾人生』第二部とも言うべき『台湾アイデンティティ』(2013)を世に送る。再び、「日本語世代」の老人たちを訪ね、敗戦で日本が去ったあとの彼らの苦難、二二八事件・白色テロの時代を生き抜いた老人たちの語りを記録する監督。寄り添うようなカメラワークと監督の姿が心に残る。
   そして、韓国の国民的画家イ・ジュンソプとその日本人妻・方子の戦火に翻弄された人生を描いた『ふたつの祖国、ひとつの愛  イ・ジュンソプとその妻』(2014)を監督した後、いよいよ「台湾三部作最終章」へと向かう。

   私もそのスタッフである映画自主上映組織「harappa映画館」は、過去3回酒井充子監督作品を上映した。20103月、記念すべき最初のドキュメンタリー特集「ドキュメンタリー最前線」で上映した『台湾人生』、20142月上映の『台湾アイデンティティ』、20152月上映の『ふたつの祖国、ひとつの愛  イ・ジュンソプとその妻』。『台湾人生』と『ふたつの祖国、ひとつの愛  イ・ジュンソプとその妻』の上映の際には酒井監督も弘前を訪れ、観客の前で熱っぽいトークを繰り広げた。「harappa映画館」と弘前の観客は、「台湾三部作最終章」を完成させた彼女が再び弘前を訪れることを待っている。

   20142月の『台湾アイデンティティ』上映以後、私はそれまで以上に「台湾」に対して意識的であろうとしてきた。もちろん、酒井監督作品に触発されたことが大きい。2014年以降の「台湾体験」について、記録と記憶を綴ってみる。それは「酒井監督の新作を待ちながら」とでも名づけたくなるような日々だ。
   20143月。思い立って、台北へ旅行した。ほぼ3日間、定番のコースをまわっただけだが、台北の街とホウ・シャオシェン監督の映画、『恋々風塵』や『非情城市』の撮影地付近の雰囲気だけは味わうことができた。ちょうど「立法院占拠事件」の真っ只中であったことも、今思えば感慨深い(注1)。
   201411月から、丸谷才一の長編小説『裏声で歌へ君が代』と、この作品をめぐるいくつかの論考に没頭する。垂水千恵の論考「丸谷才一の顔を避けてー『裏声で歌へ君が代』試論」(『新潮』201411月号)に導かれるように、日本を舞台とする幻の「台湾民主共和国準備政府」をめぐる小説である『裏声で歌へ君が代』を再読し、私自身の台湾への想いが過去にすでに形成されていたに気づいた。これも「台湾体験」だったのだ(注2)。
   さらに私は、『裏声で歌へ君が代』に何らかの影響を与えたはずの台湾生まれの直木賞作家・邱永漢の小説『客死』(そして『香港』)にたどり着く。
   201512月、台湾出身の作家・東山彰良の直木賞受賞作『流』を読む。20164月、台湾で幼少期を過ごした作家・リービ英雄と東山彰良の対談「日本語小説の場所としての『台湾』」(『すばる』20164月号)を読む。20165月、リービ英雄の「故郷」台湾への旅を描く『模範郷』を読むこの間、エドワード・ヤン監督のいくつかの映画との遅すぎる出会いもあった。
   そして20165月、ついに酒井監督の近況を伝える紀行文「台湾、記憶の島で」(与那原恵、『文學界』20166月号)に出会う。
   「台湾、記憶の島で」は、台北で医院を営んでいた沖縄生まれの祖父とその娘(つまり筆者の母)のかつての住居を訪ねる記録だ。自らが台湾に引き寄せられる理由を静かに語る、その語り口が魅力的な紀行文なのだが、この旅は『台湾人生』公開以来の友人である酒井充子監督が次作(『台湾萬歳』)の撮影を続ける台東縣・成功鎮へ向かう陣中見舞いの旅でもあったようやく、「台湾三部作最終章」のイメージが見えてきた。
   201612月、戦前の台湾で生まれ育った日本人・「湾生」たちの「故郷」台湾への想いを描いたホアン・ミンチェン(黄銘正)監督の『湾生回家』(2015)を鑑賞。酒井監督の新作を待ちわびる気持はますます強くなった。
   こうして、20177月、東京「ポレポレ東中野」での『台湾萬歳』上映に至るわけだが、残念ながら私は駆けつけることができなかった。しかし、「青森シネマディクト」で上映されることを知り、この日ついに、私は映画館を訪れた…  

   さて、2018年度に弘前で『台湾萬歳』自主上映を実現するために、私はいくつかの企画を考え始めている。もちろん酒井充子監督には来ていただくことになるだろう。「台湾三部作」完成報告のトークは絶対に必要だ。それから同時上映はどうしようか
   先月(8/20)、BS朝日のニュース番組「いま世界で」に酒井監督が出演しているのを偶然見た。番組では「台湾と日本を見つめる2つの視点」ということで、「湾生」を撮ったホアン・ミンチェン監督の『湾生回家』と「日本語世代」を撮った酒井監督の『台湾萬歳』を紹介していた。この2本立ても魅力的だ。あともう1本、台湾と日本人に関する映画を加えるか。それとも、「台湾三部作」を一挙上映するか。悩ましい、けれども胸が高鳴るような日々が続く。





  注1)
  『越境するサル』№127「台北の想い出」
   http://npoharappa.blogspot.jp/2014/05/no12720140501.html

注2)
   『越境するサル』№135「丸谷才一『裏声で歌へ君が代』再読~「台湾体験」の記憶へ~」
   http://npoharappa.blogspot.jp/2015/02/135.html


<後記>

   この映画を観た、その勢いでとにかく発信する。映画のエンドロールから、まだ丸1日たっていない。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。



2017年8月10日木曜日

【越境するサル】№.160「アンジェイ・ワイダの遺言、『残像』」(2017.8.10発行)

7月の末、ポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の遺作となった作品『残像』(2016)を観た。映画館はもちろん青森市「シネマディクト」。
いつも以上に緊張した心持でスクリーンに向かったのは、ワイダ監督に対する思い入れのせいだ

 
         「アンジェイ・ワイダの遺言、『残像』」

   2016109日、アンジェイ・ワイダ監督急逝。享年90。その死の直前、『残像』は完成した。
   主人公は、実在のポーランド人画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)。その晩年の4年間がこの映画で描かれている。
   カンディンスキーやシャガールとも交流した前衛芸術家である彼は、創作と大学での美術教育に情熱的に打ち込んだが、スターリン独裁化ソビエト連邦の衛星国であるポーランドの政府は、芸術を政治に従属させようとする「社会主義リアリズム」に従うことを彼に要求する。
   芸術家としての尊厳をかけて政府の芸術政策に反発する彼は、職場を追われ、少数の学生と友人たちを除く社会から完全に孤立し、当局の弾圧も激しさを増していく

   大学時代、不朽の名作『灰とダイヤモンド』(1958)に自主上映会で出会って以来、ポーランドの情勢とワイダ監督の映画制作について注視を続けてきた。1970-80年代、地方の上映事情ゆえなかなか作品に出会えない状況の中、『大理石の男』(1977)・『鉄の男』(1981)と問題作を発表するワイダ監督は私の中で光輝く存在であったし、東欧で地下水脈のように進行する民主化の動きの象徴でもあった。そして、1989年からの「東欧革命」が訪れる。

   『鉄の男』以降も、ワイダ監督はポーランドの歴史を描くことを自らの使命として作品を作り続けた。晩年、ソ連軍によるポーランド将校虐殺事件を扱った『カティンの森』(2007)、さらに自主労組連帯の指導者ワレサ(のちの大統領)を描いた『ワレサ  連帯の男』(2013)を完成させた彼は、もう充分にその使命を果たした、と私には思われた。このあと、どのような作品を彼は考えているのか。そもそも健在なのか。実はそのヒントとなる映像が存在していた。

   『残像』を観てから数日後、録画していたあるテレビ・ドキュメンタリーを観た。2015年にWOWOW(ノンフィクションW)で放送された『アンジェイ・ワイダ  若き映画人たちへ贈る言葉』。2度目だった。
   ワイダ監督の「抵抗三部作」、『世代』(1955)・『地下水道』(1957)・『灰とダイヤモンド』の映像を紹介しつつ彼の足跡を追いかけ、当時の検閲の実態にもふれたこのドキュメンタリーは、ワイダが設立した映画の学校「ワイダ スクール」に集う学生と監督との映画作りをめぐる様々な議論と交流に多くの時間をさいている。
   このドキュメンタリー撮影当時、彼は88歳。すでに『ワレサ  連帯の男』を完成させていた。冒頭、インタビューにに答えて彼はこう語る。

   「映画は私の人生そのものです私には残された時間がありません今起きていることを描きたいのですが過去が私たちをつないでいるのです私たちの体験 戦争 民主化運動 戦前のポーランドがどうだったかこういった歴史の記憶が私たちをつないでいるのです映画はそれを表現し社会と共に歩んでゆく義務があるのです」

   さらに「ワイダ スクール」で、学生たちにこう語りかける。

  「私の映画監督としての義務は死者の声を伝えることですなぜならそれは、多くの過去の人の声、無念の思いでもあるからです彼らの死があったことで、いま私たちが生きている私たちは彼らよりだめな人間だ彼らは勇敢で、その時起こっていたことを自分で引き受けたその事実を伝えたいのです」

   …『残像』は、主人公ストゥシェミンスキが学生たちと野外で語らうシーンから始まる。ストゥシェミンスキの情熱的な言葉、学生たちへの期待、学生たちのストゥシェミンスキに対する信頼。その後の悲劇的な展開に比べ、そこには希望があふれている。

   そして私は、ストゥシェミンスキと学生たちの姿を、ワイダ監督と映画の弟子たちの関係と重ね合わせる。





<後記>

   ワイダ監督の遺作を見届け、それについて書かなければならない。そのような思いで映画館に出かけた最後の作品まで見届けよう、そう思っていた監督たちが次々に世を去った。アンゲロプロス、キアロスタミ、若松孝二。彼らについて、もう一度見つめ直す作業が必要だ。
   さて、わが「harappa映画館」も、来たる9月16日(土)、上映会を行う。題して「忘れられない女性たち」。
   詳細は、ホームページで。



<付録>

   付録として、アンジェイ・ワイダ監督を扱った過去の『越境するサル』を掲載する。

     『越境するサル』№47(2006.10.1発行)

   1980年のポーランド。私にとって明らかに同時代史である「連帯」の闘いとその行方について、いつか辿ってみたいと思い続けてきた。その作業のスタートは、もちろんアンジェイ・ワイダ監督の映画『大理石の男』(1977年)と『鉄の男』(1981年)。まず、この2作品のビデオをじっくりと鑑賞することから始めよう・・・そう思ってからもう1年以上たった。

 
               「大理石と鉄の男たち~ポーランドの市民革命~」

   『地下水道』(1957年)や『灰とダイヤモンド』(1958年)で知られるポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ(1926~)の1977年作品『大理石の男』は、スターリン主義・スターリン時代を告発した先駆的な作品である。しかも、のちの独立労組「連帯」の出現を予告する内容となっている。
   主人公はふたりいる。ひとりは映画大学の学生アグネシカ。彼女はテレビ局の機材とスタッフを使って卒業制作のドキュメンタリーを撮影している。テーマは1950年代の「労働英雄」ビルクート。クラクフ郊外ノヴァ・フタ製鋼所のレンガ工で、レンガ積みの驚異的記録を持つ模範的労働者として国民的英雄とされ、やがて消えていった人物である。  
   博物館の地下室に放置されたビルクートの代理石像の発見を皮切りに、アグネシカは当時のニュース映画の調査、ビルクート周辺の人々への調査を重ねていく。この、ニュース映像と人々の回想の中にしか現れないビルクートが、もうひとりの主人公といえる。
   実際のモノクロのニュース映画、あるいは当時のプロパガンダ映画に似せて作られた映像(その作品のクレジットには「助監督アンジェイ・ワイダ」の名も見える。自分もプロパガンダ映画に手を染めていたとの「告白」であるのか)を、アグネシカとともに観ることによって、人々の回想をアグネシカとともに聴くことによって、私たちもまた1950年代のポーランドを追体験する。ビルクートが自立して行動しようとしたために英雄の座から引きずり下ろされ、やがて理不尽な裁判を経て人々の前から消えていく過程(まるでカフカの小説のようだ)を追体験する。
   そして、アグネシカの映画制作もまた挫折を余儀なくされる。政治的影響を恐れたプロデューサーに制作中止を通告されたのだ。だが、父親に励まされた(この父親が何とも優しく頼もしい。この映画に希望を感じさせる何かを感じるのは、このようなシーンがあるからだ)彼女は、ビルクートの息子を訪ねて、グダニスク造船所へ向かう・・・

   『大理石の男』が日本で公開されたのは1980年9月、東京岩波ホールであった。すでにポーランド国内だけでなく世界中で記録的な観客を動員し、日本でも大きな話題となっていた。私が観ることになるのはずっと後のことだが、1980年当時の『大理石の男』をめぐる状況はリアルタイムで把握していた。いや、把握しようと努めていたと言った方が正確だろう。
   1979年、下北半島の定時制高校(現在は閉校)に23歳で赴任した私は、当時町にひとつしかなかった書店に注文していくつかの雑誌を購読していた。最初に注文したのが『世界』・『朝日ジャーナル』・『日本読書新聞』の3誌(紙)で、しばらくの間かなり丹念に読んでいたように記憶している。世界と自分をつなぐ通路という意識があったのかもしれない。
   岩波書店の月刊誌『世界』には、高校生の頃から信頼して読んでいた「パリ通信」(藤村信)が断続的に掲載されていた。東ヨーロッパのスターリニズム諸国の動向を追い続けてきた「パリ通信」の1980年は、もちろんポーランドの「連帯」をめぐる緊迫のレポートである。
   「ポーランドー大理石の男たち」と題された通信(198011月号)において藤村信は、党官僚が形成する新しい特権階級(「ノメンクラトゥラ」)の対抗勢力として、知識人の運動と連携した労働者階級の組織・独立労組「連帯」が登場する過程をポーランド現代史の叙述とともに描き出す。そして最後の章において、『大理石の男』の上映が「一九八〇年夏にはじまる<革命>を予告し」たとして次のように記す。
   「『大理石の男』のメッセージは明瞭です。それはポーランドの歴史的真実を人びとにつたえ、人びとが真実をうけとめたことです。検閲当局が上映に横槍をいれるまでの最初の六週間に人口三千五百万の国で約二百万人をこえる人びとが競ってフィルムに殺到し、ヴロツワフでは上映はしばしば拍手と喝采によって中断され、幕切れで観衆はいっせいに立ち上がってポーランド国歌を合唱しはじめました。それは芸術史上、政治史上における一大出来事でした。」
   ポーランドの観客は、主人公の労働英雄ビルクートの中にポーランドにおけるスターリン主義の歴史をそのまま読み取り、最後にグダニスク造船所に向かうアグネシカの行動から1970年冬のグダニスク造船所反乱の挫折の記憶を読み取ったのだ。「連帯」の先駆けとなったのは、グダニスクのストライキ労働者による1970年冬の犠牲者を記念するための十字架の建立である。こうして、『大理石の男』のラストと、現実の<革命>がそのままつながっていく。
   「パリ通信」は、以後19811213日の軍事クーデターをはさんでポーランドについて書き続ける。「連帯」と政府(党)の交渉・農民と労働者と知識人の関係・党そのものの変化・軍事クーデターの過程・ポーランド戦後史の概略・ポーランド共産党の悲劇の歴史・軍政下の状況が報告(叙述)されていく。これらの諸論文をまとめたのが、『ポーランド 未来の実験』(1981年、岩波書店)と『春はわれらのもの 軍靴の下のポーランド』(1982年、岩波書店)である。この2冊に収められた通信を読み続けながら、私はグダニスクの労働者とレフ・ワレサたちの闘いをイメージしていたのだ。
  
   『鉄の男』は『大理石の男』の続篇である。カンヌ映画祭でパルムドール(グランプリ)を受賞し、やはり全世界から注目された(もちろん政治的にもだ)。
   『大理石の男』のラストに登場するビルクートの息子マチェク・トムチックとあの女子学生アグネシカが主人公で、ふたりは結婚(結婚式のシーンにはレフ・ワレサも「出演」している)してともに反体制の活動家という設定である。アグネシカを演ずるのは前作と同じくクリスティナ・ヤンダ、ビルクートとマチェク(二役)も同じくイェジ・ラジヴィオヴィチ。このふたりのラブストーリーと「時代」がテーマである。
   物語は、酒浸りのジャーナリストであるヴィンケルが国家権力に脅しをかけられ、ビルクートの息子マチェクの信用を失墜させる情報を得るため彼とその周辺を探るところから始まる。ヴィンケルは、マチェクの妻アグネシカを獄中に訪ね、さらに政府との交渉只中のグダニスク造船所にも入り込む。この過程を経てヴィンケルは「改心」するのであるが、彼を狂言回しに記録映像・ニュース映画・『大理石の男』の断片等々とともに重要な回顧シーンが映画の中に現れる。1968年の学生スト、1970年の労働者反乱、ビルクートと息子の対立(それは学生・知識人と労働者の「同盟」の失敗をも示している)、そしてビルクートの死。これら回顧シーンによって、前作で不明だった部分が明らかにされる。
   政府と「連帯」の交渉の実況(まさしく「実況」だ)の熱気を背景に物語は終幕に向かう。「連帯」は勝利し、アグネシカは釈放されマチェクのいる造船所にたどり着く・・・しかし映画のラスト、自動車で造船所を出る党幹部は次のように言い放つ。「協定など何の価値もない。強制的な合意に法的効力はない。ただの紙切れさ。」
   軍事クーデターそして戒厳令の予感は、やがて現実となる。しかし、もはや後戻りすることができない時代の変化の一瞬、その時を、この映画はたしかに写し取った。
  
<後記>(№47の)

   今回、2本の映画と「1980年のポーランド」に絞って語ってみた。その過程で、ワイダの他の作品、他のポーランド映画が観たいと、痛切に思い始めた。参考のため青森市民図書館から借りた『ポーランド映画史』(2006年、凱風社)と『アンジェイ・ワイダ 自作を語る』(2000年、平凡社)が、あまりにも面白かったからだ。しかしここは我慢して、早速次のテーマの準備をすることにしたい。
   グダニスク、かつてダンツィヒと呼ばれたこの都市で生まれたある作家について次回書きたいと思う。その作家の名はギュンター・グラス。もちろん、例の「告白」をめぐる話だ。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。

2017年7月12日水曜日

【越境するサル】№.159「珈琲放浪記~川越、東京、松本そして仙台~」(2017.7.12発行)

6月末から4日間、JRの「大人の休日」で、妻と川越・東京・松本・仙台を巡った。あわただしい旅だったが、もちろんそれぞれの土地で珈琲を味わうことは忘れなかった。あらためて「旅先でコーヒーを飲むこと」について考えた。

 
      「珈琲放浪記~川越、東京、松本そして仙台~」


1日目 「小江戸」川越で「あぶり珈琲」と出会った

   東北新幹線から山手線そして西武新宿線特急「小江戸13号」と乗り継いで、埼玉県に入る。本川越駅に到着したのが1225分。500メートルほどの蔵造りの街並みを散策し、郷土食のランチ、橋本雅邦の作品が収められている山崎美術館、そして立ち並ぶさまざまな店巡りに満足した後、どうしても珈琲が飲みたくなった。たしか「時の鐘」の近くに立ち寄りたいと思っていた店があるはずだが、なかなか見つからない。あきらめかけていた頃、付近の裏通りにまで踏み入って、ようやくその店にたどり着いた



   川越で最も有名な「あぶり珈琲」。外観も店の中も想像通りのレトロな造り、入った途端、居心地の良さを感じてしまった。どこか懐かしさも感じる。それほど古い店ではないはずなのに。もっとも私の「珈琲放浪」の目的地はいつもこんな感じだ。



   注文したのは、焙煎の度合によって5種類あるブレンドの中で最も深煎りの「5」。一口飲んだ瞬間から、その香りとふくよかさに圧倒された。しかも、のど越しもいい。旅の最初から自分の好みの珈琲に出会えた幸運に感謝しつつ、店を出た。この後、本川越から所沢経由で西武池袋線。娘宅へ向かう。


2日目 美術館とエスプレッソ

   午前9時半、上野公園「スターバックス」。10時開館の東京都美術館「ブリューゲル『バベルの塔』展」へ向かう予定の945分まで、エスプレッソを飲みながら待とうと思っていた。私と「スターバックス」は似合わないと思われているが(そしてその通りなのだが)、この上野公園の店だけは気になっていた。炎天下の上野公園を歩いている時、いつも「オアシス」のようだったこの店の存在は気になっていた最終日前日の土曜日ゆえの長い行列に加わり、『バベル』を目指す。


   オランダのボイマンス美術館から24年ぶりに日本にやってきた、ピーテル・ブリューゲル1世の油彩「バベルの塔」。日本初公開、ヒエロニムス・ボスの2点「聖クリストフォロス」と「放浪者(行商人)」、待ち望んでいたものと出会えた幸せ
   上野をあとにして山手線から東京メトロ千代田線へ乗り継ぎ、乃木坂へ。国立新美術館「ジャコメッティ展」。
   キュビスム、シュルレアリスムを経て独自の細長い形の彫刻スタイルを生み出し、20世紀フランスを駆け抜けたジャコメッティ。彼の132点の作品を展示した大回顧展。圧巻は9体の女性像が並ぶ大作「ヴェネツィアの女」、写真撮影可のやはり大作「大きな女性立像」・「大きな頭部」・「歩く男」。しばらく興奮を抑えることができない体験だった


   おそらくこの1年間で最も感動的な出会いとなった「ジャコメッティ展」に満足した後、午後1時半、美術館内の「カフェ コキーユ」でサンドとエスプレッソの軽い昼食。美術館巡りには、エスプレッソがよく似合う。


   のんびりはできなかった。新宿午後3時発特急「あずさ21号」で松本に向かう予定になっていた。



3日目 松本城と街歩きと珈琲と

   8時、長野県松本市駅前大通、喫茶「珈琲美学 アベ」。ホテルの朝食は利用せず、この老舗喫茶店のモーニングサービスで1日を始めたかった
   …前日夕刻、松本に到着。ホテルでチェックインを済ませた後、周辺を歩きまわり、パルコ裏通りの「ワイン酒場 かもしや」で夕食をとった。白馬豚のステーキや馬刺しのカルパッチョを肴に、長野県産ワインを数種類。「安曇野ワイナリーの白(ソーヴィニョン・ブラン)」・「山辺ワイナリーの白(ピノグリ)」・「サンサンワイナリーの白(シャルドネ)」・「五一ワインの赤(メルロー)」続いて居酒屋で地場の肴とビールと〆のもり蕎麦、すでに夜の松本に満足していた
   さて、「珈琲美学 アベ」だ。いかにも「街の喫茶店」といった趣きのカウンターとテーブル席が、少しずつ客で埋まっていく。みな、モーニングサービスが目当ての客だ。私も珈琲にサイドオーダー(一品ずつ注文する方式だ)のバタートースト・ベーコンエッグ・ポテトサラダをチョイス、初めて体験する流儀のモーニングを味わう。当たり前のように、喫茶店で朝食をとる。満足して、いよいよ街へ出る。



   黒い色彩が印象的な松本城(城内も見学)と隣接する松本市立博物館に午前いっぱいを費やし、昼食は老舗の蕎麦屋「こばやし本店」で「天ざる」。午後は縄手通り・中町通りを中心にたっぷりと街歩きを楽しむ。そして、午後2時、女鳥羽川沿いの民芸茶房「珈琲 まるも」にたどり着いた。



   民芸家具があふれた「珈琲 まるも」は、たくさんの観光客でほぼ満員。何とか見つけた席で「炭火焼珈琲」にありついた。しかし、体はすでに極度の疲労で、しっかりと味わうどころではなかった。ホテルで仮眠をとりたかった


 休息の後、駅前大通を急ぎ足で歩く。松本旅行最後のポイント、松本市美術館。ここで松本出身のアーティスト・草間彌生の作品を贅沢に楽しむ。「コレクション展  草間彌生  魂のおきどころ」の大作「レッド・ドッツ」や館外に置かれた作品群この出会いは収穫だった。






4日目 仙台青葉通り、「わでぃはるふぁ」で一休み 

   朝、松本駅6番線ホームで「駅そば」。冷たい蕎麦が思いのほか美味い。今回の松本旅行で食べた蕎麦は、相性がよかったのかすべて美味しかった。
   特急「しなの3号」で長野へ、長野から新幹線「あさま614号」で大宮へ、大宮から新幹線「やまびこ51号」で仙台へ。大人の休日、最後はこの仙台で一息つこうと計画していた。
   地下鉄東西線で大町西公園駅に向かい、「くらしギャラリー 風ち草」へ。和風テイストの雑貨中心のショップ「風ち草」には、仙台に来るたびに立ち寄ることにしていた。私のために、ステンレス製タンブラーを購入した。この夏、美味いビルが飲めそうだ
   店を出て、青葉通りを歩いて仙台駅に向かう。途中、喫茶「わでぃはるふぁ」で一休み。これまで何度も店の前を通りながら、なぜか縁がなかったこの隠れ家のような喫茶店に、ようやく入ることができた。入った途端、まるでずっとこの店の常連客だったような既視感。年季の入ったテーブルと椅子、本棚にあふれる「地球の歩き方」、輸入雑貨「定休日は満月の日」。



   ブレンドコーヒーの「ストロング」と「チーズケーキ」、どちらも満足。珈琲の強さとチーズケーキの濃厚さが見事にマッチし、旅の疲れが癒されたように感じる特別な時間が流れる

   4日間で入った喫茶店は6軒。旅の最初と最後に、思いがけない出会いがあった。「旅先でコーヒーを飲むこと」の意味をかみしめる。
    
 

<後記>


   今回の報告も例によって、速報のようなものである。この4日間の旅で出会ったさまざまなもの、たとえば美術作品や国産ワインについて、別な形でこの通信の中で語る日が来るような気がする。



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。

2017年6月30日金曜日

【越境するサル】№.158「今年出会ったドキュメンタリー 2017年4-6月期」(2017.06.29発行)

2017年4-6月期に出会ったドキュメンタリーについて報告する。
  

「今年出会ったドキュメンタリー 2017年4-6月期」

   2017年4月から6月までに観たドキュメンタリーを列挙する。「青森シネマディクト」を除けば、映画はDVDでの鑑賞、もしくはインターネット配信。( )内は製作年と監督名と鑑賞場所等、はテレビ・ドキュメンタリー。
         
4月・・・『サディスティック&マゾヒスティック』(2000  中田秀夫)
     『パンターニ  海賊と呼ばれたサイクリスト』
     (2014  ジェームズ・エルスキン)
     『SACRED  いのちへの讃歌』(2016  トーマス・レノン)
          『将軍様、あなたのために映画を撮ります』
     (2016  ロス・アダム、ロバート・カンナン)
          『永遠のヨギー~ヨガをめぐる奇跡の旅』
     (2014  パオラ・デ・フロリオ、リサ・リーマン)                          
              
          『激動の家族史を記録する~中国・新たな歴史教育の現場~』
     (2017  ドキュメンタリーWAVE
          『偽りの捜査~20年目の再審が封印した真実~』
     (2017  テレメンタリー)
          『ピカソの遺産~女神(ミューズ)たちから生まれた傑作~』
     (2016  BS世界のドキュメンタリー)
          『境界の家~沖縄から福島へ・ある原発技術者の半生~』
     (2017  ETV特集)
          『獄友たちの日々』(2017  ETV特集)
          『ニューヨーク地下鉄7号線~移民たちはどこへ~』  
     (2017  BS1スペシャル)
          『捨てられたコメ~秋田・減反政策48年目の告発~』
     (2017  NNNドキュメント)              
          極右の誘惑~フランス  ルペン支持者の本音~』
     (2017  BS世界のドキュメンタリー)              
          『ユーリー・ノルシュテインの、話の話。
            ~アニメーションの神様  終わらない挑戦~
     (2017  ノンフィクションW      
              
5月・・・『ぼくと魔法の言葉たち』
     (2016   ロジャー・ロス・ウィリアムズ  青森シネマディクト)
      『ノーマ東京  世界一のレストランが日本にやって来た』
     (2016  モーリス・デッカーズ)
      『ざ・鬼太鼓座』(1981  加藤泰)
          『パコ・デ・ルシア  灼熱のギタリスト』
     (2015  クーロ・サンチェス)
      
      『わたしの話を聴いてほしい-あの事件から9か月  今思うこと-』
     (2017  NNNドキュメント)
      『暮らしと憲法  第1回  男女平等は実現したのか  
             第2回  外国人の権利は』2017  ETV特集)
          『われら百姓家族・遺言』(2017  ザ・ノンフィクション特別編)
      『トランプWAR~メディアに挑む 
     “つぶやきとウソが動かす世界』2017  NNNドキュメント)  
          『咲き誇れ  希望の花よ~「震度7」に2度襲われた町で~』
      (2016  テレメンタリー  
        2016年度最優秀賞受賞作品アンコール放送)
      『ルーブル美術館を救った男』(2017  ドキュランドへようこそ!)
          『和食  ふたりの神様  最後の約束』(2017  NHKスペシャル)
          『ママはいないけど~東松島市  震災遺児の5年~』
     (2016  FNSドキュメンタリー大賞特別賞)
          『慟哭の海~韓国セウォル号事故  母たちの3年~』
     (2017  BS1スペシャル)
          『乾貴士  そのドリブルで未到の領域へ
        ~スペインで戦う孤高のフットボーラー~』
     (2017  ノンフィクションW

6月・・・『わたしの自由について~SEALDs  2015~』
     (2016  西原孝至)
          『グレート・ミュージアム  ハプスブルク家からの招待状』
     (2014  ヨハネス・ホルツハウゼン)
          『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
     (2014  チュス・グティエレス 青森シネマディクト )
     『ゆんたんざ沖縄』(1987  西山正啓  シグロ無料配信)            
      
     『新見のワイナリー、世界へ~日本ワインブームの中で~』
     (2017  サタデードキュメント)
          『グレートファミリー  巨大財閥の100年』
     (2017  映像の世紀プレミアム)
     『原爆スラムと呼ばれた街で』(2017  ETV特集)    
          『出かけよう、日美旅スペシャル  奈良  美仏の都へ』
     (2017  日曜美術館)
          『わたしは、LGBT』(2017  NNNドキュメント)
          『死刑囚と姉ー袴田事件50年ー』
     (2016  FNSドキュメンタリー大賞ノミネート) 
       『ヒロシマの山~葬られた内部被ばく調査~』
     (2012  サタデードキュメント)
          『少年A~神戸児童連続殺傷事件  被害者と加害者の20年~』
     (2017  NNNドキュメント)
            
   毎回、「収穫」を選んでいるが、2017年4-6月期の印象に残った作品について数本紹介する。まず、映画から。

 『サディスティック&マゾヒスティック』(2000 中田秀夫)。中田秀夫監督が自ら助監督もつとめた師匠・小沼勝監督の自宅や撮影現場を訪れインタビューを試みたドキュメンタリー。日活ロマンポルノを牽引した小沼監督の作品の映像がふんだんに使用され、当時の監督仲間・スタッフ・女優たちにもインタビューを敢行する。日活ロマンポルノ30周年記念作品。

 『パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014 ジェームズ・エルスキン)。1998年、イタリアのロードレーサー、マルコ・パンターニはツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリア制覇を成し遂げた。ファンにイル・ピラータ(海賊)と呼ばれた彼は、ドーピング問題で崩壊の危機に瀕していたロードレース界の英雄だった。しかし、パンターニもまたドーピングのスキャンダルに巻き込まれ、傷つき、絶望の中でひとりきりの死を迎えた。34歳だったひとりの天才サイクリストの人生を追う傑作。
   

 SACRED いのちへの讃歌』(2016 トーマス・レノン)。人は、なぜ祈るのか?をテーマに、世界各地40ものカメラクルーが人々の信仰の姿を撮影し、その映像をアカデミー賞・エミー賞等の受賞歴を持つトーマス・レノン監督がまとめ上げた。比叡山の峰々を巡礼する「千日回峰行」、割礼や洗礼、死にまつわる儀式、メッカ巡礼、苦行者、終身刑囚の信仰29回アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭パノラマ部門正式出品、第29回東京国際映画祭でワールドプレミア上映。410日、WOWOW「ノンフィクションW」で放送された。

 『将軍様、あなたのために映画を撮ります』(2016 ロス・アダム、ロバート・カンナン)。1978年、韓国の国民的女優・崔銀姫(チェ・ウニ)が旅行先の香港で姿を消した。その行方を追っていた元夫の映画監督・申相玉(シン・サンオク)も行方不明となり、北朝鮮による拉致の可能性が考えられたが、消息不明のまま捜査は暗礁に乗り上げた。実は、二人は拉致された後、5年間別々に監視された生活を送っていた。その後金正日の仲介により再会を果たし、金正日からある指示を受ける。それは北朝鮮のために映画を制作せよ、というものだった。監視のもととはいえ比較的自由な環境と潤沢な予算を与えられ、二人は3年弱の間に17本の映画を作り上げる。しかし1986年、二人は用意周到な計画に基づき、アメリカへの亡命に成功する数々の証言と秘密に録られた金正日の肉声の録音テープ、そして申相玉監督作品で構成された、謎の事件の「真実」。

 『ぼくと魔法の言葉たち』(2016  ロジャー・ロス・ウィリアムズ  青森シネマ・ディクト)。自閉症により2歳で言葉を失い、6歳まで孤独な世界に閉じ込められていた少年オーウェン。そんな彼がある日発した言葉が、毎日観ていたディズニー・アニメーションに登場するセリフであることに気づいた父と母は、ディズニー・アニメーションの登場人物になりきって息子との会話を試みる。弟の力になろうとする兄も含めた家族のサポートにより、やがてオーウェンは徐々に言葉を取り戻していく明るさを忘れずに、障害を乗り越えて自立を目指すオーウェンの姿は、感動的としか言いようがない。傑作である。

 『ノーマ東京  世界一のレストランが日本にやって来た』(2016  モーリス・デッカーズ)。イギリスの月刊誌「レストラン」による「世界のベストレストラン50」で5度1位に輝くデンマークのレストラン「ノーマ」。2015年、そのカリスマシェフであるレネ・レゼピが総勢77名のスタッフを引き連れ来日、「ノーマ・アット・マンダリン・オリエント・東京」を期間限定で開店した。日本全国を巡る食材探しと、オープンぎりぎりまで試行錯誤を繰り返したメニュー作りの全記録。

 『ざ・鬼太鼓座』(1981  加藤泰)。巨匠・加藤泰監督の遺作にして幻のドキュメンタリー。佐渡ヶ島の芸能集団「鬼太鼓座(おんでこざ)」の若者たちの姿を2年かけて撮影し制作したこの作品は、加藤泰監督生誕100年を記念して当時のスタッフ監修のもとデジタルマスター作業が行われ、第73回ヴェネチア国際映画祭クラシック部門でワールドプレミア上映の後、2017年劇場公開された。若者たちの厳しい鍛錬と太鼓をはじめとする和楽器の演奏、加藤泰監督は自らの美学に従ってそれらを描き尽くそうとする。

 『わたしの自由について~SEALDs  2015~』(2016  西原孝至)。2015年、安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認を含む新たな安全保障関連法案を国会に提出した。この動きに対して、東京を中心に立ち上がったのが学生団体「SEALDs」(シールズ/ 自由と民主主義のための学生緊急行動)。20156月から半年間に及ぶ、彼らの国会議事堂前抗議行動の記録。 

 『ゆんたんざ沖縄』(1987  西山正啓  シグロ無料配信)。 623日沖縄慰霊の日に合わせて、シグロ第1回作品の『ゆんたんざ沖縄』が、22日(木)0時より25日(日)24時まで4日間限定で、無料配信された。
嘉手納空軍基地の隣の読谷村、戦後38年たって84人の集団自決が明らかになったこの村のチビチリガマに平和の像を作ることになったこの像の制作過程と沖縄戦の記憶、沖縄国体を間近にひかえた地元高校卒業式の「日の丸掲揚」をめぐる軋轢、これらが交錯して死者84人の法要の日へと向かう。撮影:大津幸四郎、音楽:小室等。なお、先日亡くなった大田昌秀元沖縄知事のインタビュー映像も『大田昌秀さんの死を悼む』(ジャン・ユンカーマン監督によって3分に編集)というタイトルで同時配信された。

テレビ・ドキュメンタリーからも数本。

『激動の家族史を記録する~中国・新たな歴史教育の現場~』(2017 ドキュメンタリーWAVE)。中国ではこれまで家族に語ることすらタブーとされてきた現代史。いま、その中国の教育現場で「歴史記録」という新しい試みが行われている。子供たちが家族に聞き取りを行いそれを作文にまとめるその試みを、広州の中学校で取材する。文化大革命期の祖父の話を聞く女子中学生と改革開放後の父の苦労を聞く男子中学生、家族の歴史を知ることによってふたりの内面は変容していく説得力のある映像だった。なおNHKBS1「ドキュメンタリーWAVE」は、この回で終了。地上波ではなかなか取り上げてもらえないテーマについてのドキュメンタリー番組は貴重だった。残念。

『獄友たちの日々』(2017 ETV特集)。43年の歳月を経て再審無罪を勝ち取った「布川事件」の桜井昌司さん。彼は、千葉刑務所や東京拘置所で同じように時を過ごし冤罪と闘ってきた仲間たちを「獄友(ごくとも)」と呼び、交流を続けている。ともに「布川事件」で無罪を勝ち取った杉山卓男さん(故)。同じく再審無罪となった「足利事件」の菅家利和さん。さらに再審決定により釈放された「袴田事件」の袴田巖さん、仮釈放され再審を求めている「狭山事件」の石川一雄さん。彼ら5人の「出会い直し」の日々の記録ディレクターは『SAYAMA  みえない手錠をはずすまで』(2013)・『袴田巖  夢の間の世の中』(2016)の金聖雄(キム・ソンウン)監督。なおこのドキュメンタリーは、100分のドキュメンタリー映画『獄友』として2017年秋完成を目指す。

極右の誘惑~フランス  ルペン支持者の本音~』(2017 BS世界のドキュメンタリー)。制作:Antipode(フランス  2017年)。フランス大統領選挙で決選投票に勝ち残った極右政党・国民戦線の女性党首ルペン氏。反EUや移民排斥を掲げる彼女がなぜ多くの国民の支持を集めるのか。国民戦線を支持するゲイのカップル、黒人ラッパー、左派の教師、イスラム教徒通常極右から排除される人々へのインタビューを通してフランスの現状を探る。この作品を含む「シリーズ  欧州変動の予兆」の残り3本は、 『メルケル首相の試練~難民政策で揺れるドイツ~』・『政治家は去れ!イタリア五つ星運動快進撃の裏で』・『難民村の郵便配達夫』 。

『わたしの話を聴いてほしい-あの事件から9か月  今思うこと-』(2017 NNNドキュメント)。制作:日本テレビ。神奈川県相模原市の障がい者施設で19人もの命が奪われた事件から9か月後、ひとりの映画プロデューサーがある場所に向かった。13年前に映画を撮影した滋賀県の障がい者施設「びわこ学園」。重度の障害を抱えながらも必死に「言葉」を紡ぎだそうとする人々の姿から、私たちは彼らの思いや願いをくみ取ることができるか

『和食  ふたりの神様  最後の約束』(2017  NHKスペシャル)。10年連続「三つ星」獲得の寿司職人・小野二郎(91)、伝説のてんぷら職人・早乙女哲哉(70)。35年に渡る二人の交流、それはお互いの技を認め合った達人同士にしかわからない世界だった唯一ライバルと認め合うふたりの天才の技と物語を4K映像で記録。

『死刑囚と姉ー袴田事件50年ー』(2016  FNSドキュメンタリー大賞ノミネート)。制作:テレビ静岡。フジテレビでは20167月放送。「袴田事件」から50年。死刑判決を受けた弟・袴田巌元被告の無実を訴え続けた姉・秀子さんは、20143月の裁判やり直し決定・48年ぶりの釈放以降、弟とふたりの生活を送っている。死におびえる毎日から「拘禁症」を発症していた弟をじっと見守る姉。彼女の証言から「袴田事件」を検証する姉と弟、それぞれの闘いの記録と記憶、そして「現在」の生活。その見事な対比と構成に圧倒された。間違いなく、この1年間に出会ったテレビ・ドキュメンタリーの中でベストワンの傑作。

『ヒロシマの山~葬られた内部被ばく調査~』(2012  サタデードキュメント)。制作:中国放送(20128月放送)。2013年日本民間放送連盟賞テレビ報道番組最優秀作品。1946年設立された放射線影響研究所(放影研)。比治山にあるその広島研究所は隠語で「山」と呼ばれる。原爆による放射線の人体への影響を調査し続けている同研究所と前身である米国原爆傷害調査委員会(ABCC)の歴史を、当事者の証言で構成した力作。『はだしのゲン』作者中沢啓治氏の証言も収録されている。制作の前年の「フクシマ」の内部被ばくの問題ともリンクさせる姿勢は評価されるべきだろう。


<後記>

   テレビ・ドキュメンタリーについては、かなり充実した体験をしていると思う。それに比べて映画の方は物足りないが、何とか鑑賞機会を作り出していきたい。また、自主上映の「ドキュメンタリー最前線」に向けて、「講座」のような形の準備態勢を整えたいとも考えている



(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。