2017年10月17日火曜日

【越境するサル】№.163 「4年ぶり、映画の都へ~『山形国際ドキュメンタリー映画祭2017』~」(2017.10.15発行)

  今月、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2017」(10/510/12 ※注1)のために妻と山形市に滞在した。隔年で開催されているこの映画祭に私は2005年から参加してきたが、一昨年は仕事の都合で山形を訪れることができなかった。4年ぶりの映画祭、鑑賞する作品について何度も何度も検討を重ね、万全な状態で映画に臨むために体調を整え、高速バスを乗り継いで山形に到着した。ホテルのチェックインを済ませたのは午後10時、ついに私の映画祭が始まった
  映画祭4日間の体験を、今回も報告する(注2)。

 
  「4年ぶり、映画の都へ~『山形国際ドキュメンタリー映画祭2017』~」

   今年の映画祭では次の3つの鑑賞を主要な目標とした。まず、原一男監督の新作『ニッポン国VS泉南石綿村』、続いてフレデリック・ワイズマン監督の新作『エクス・リブリスニューヨーク公共図書館』、そして佐藤真監督の特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」。この3つを優先させて、それ以外の注目すべき作品を無理なく配置して鑑賞計画を立てる。とはいえ10スクリーンで約160本が上映される今年の映画祭、どの作品を選ぶか直前まで迷っていたというのが本当のところだ。用意した前売り券は10枚、滞在最終日以外は1日3本。こうして「私だけのプログラム」が出来上がった


10月6日(金)
  
   前夜の酒が少し残っていたが、思いのほか爽快な朝。簡単な朝食を部屋で済ませ、とにかく会場を目指す。

   10時30分、山形市民会館大ホール。
   『私はあなたのニグロではない』(ラウル・ペック  2016  アメリカ、フランス、ベルギー、スイス  93分)。大賞(ロバート&フランシス・フラハティ賞)の対象となるインターナショナル・コンペティション部門15作品の中の1本。

   1963年6月に死んだメドガー・エヴァーズ、1965年2月に死んだマルコムX、1968年4月に死んだマーティン・ルーサー・キング・ジュニア。暗殺された3人のアフリカ系アメリカ人活動家の複雑なつながりを突きとめようと、やはりアフリカ系アメリカ人の作家であるジェームズ・ボールドウィンは『リメンバー・ディズ・ハウス』を執筆する計画を立てる。この未完の原稿をもとに、ハイチ出身のラウル・ペック監督は3人の活動家とボールドウィンの映像を軸にした激動の現代史を描き出す。4人の映像の圧倒的な存在感、骨太の構成、ドキュメンタリーの王道ともいえる作品と出会った。
   なお、この作品は優秀賞を受賞した。

   12時20分、かつて映画館が並んでいたシネマ通りに急ぎ足でたどり着く。訪れる計画を立てていた喫茶で深煎りの珈琲を身体に流し込む。もっと頭を覚醒しなければ。飲み終わり、また急ぎ足で市民会館へ。

   13時00分、山形市民会館小ホール。
   『盗まれたロダン』(クリストバル・バレンスエラ  2017  チリ  80分)。サンティアゴ国際ドキュメンタリー映画祭友好 特別上映作品。

   サンティアゴ国立美術館で開催されたロダン展会期中に、ロダンの「アデルのトルソ」が盗まれた。犯人の美大生は「芸術行為としての盗難」であると主張した事件の数年後から脚本を準備したバレンスエラ監督は、現代と過去を往来する、サスペンスのような、コメディのような、「藪の中」のような(つまり複数の視点による)作品を作り上げた。
   日本語字幕がないため、スペイン語から日本語への同時通訳機を装着しての鑑賞。もっとも、英語字幕の簡潔さも役に立った。

   市民会館からほど近い場所にある映画館「山形フォーラム」に向かう。ようやく、頭と身体が映画祭にフィットし始めてきた

   15時20分、山形フォーラム4。
   『映画のない映画祭』(王我ワン・ウォ  2015  中国  80分)。アジア千波万波特別招待作品。

   2014年8月、第11回北京インディペンデント映画祭が、当局によって強制的に中止させられた。私服警官の妨害、映画祭事務局への家宅捜索、スタッフへの事情聴取居合わせた多くの人々によって撮影された映像を王我(ワン・ウォ)監督が編集したこの作品は、事の顛末の記録であり、かつ闘争宣言である。
   上映後のトークの中で、中国からの留学生と監督のやりとりが印象に残った。まさに現在進行形の映画だ。

   この日は早めに映画を切り上げて、夕刻から七日町の山形県産ワインを味わえるバルでゆっくり過ごした。明日からは、長尺の作品への挑戦も含め、ハードな日程が待っている


10月7日(土)

   雨を予感しつつ、山形美術館を目指す。この界隈の落ち着きは、私のお気に入りのひとつだ。

   10地30分、山形美術館2。
   佐藤真監督特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」。
   『我が家の出産日記』(佐藤真  1994  日本  45分)。 
   『おてんとうさまがほしい』(佐藤真構成・編集  1994  日本  47分)。 
  
   佐藤真監督が世を去ってから10年の歳月が流れた。今回の特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」は、全作上映トークという企画である。未見の作品鑑賞のために、足を運ばなければと思っていた。
   『我が家の出産日記』は、佐藤監督が企画し、自らが家族とともに出演し、演出も担当したテレビドキュメンタリー(テレビ東京)。次女出産のため妻が入院し、家に残された佐藤監督と2歳の長女。この家族の怒涛の一週間を描く「家族日記」は、今まで見たどんなテレビドキュメンタリーよりも面白かった。軽快なリズムと際立つ個性、そしてペーソスもあり被写体である佐藤監督が今はもうこの世にいないのだという事実が、心に染みる。
   『おてんとうさまがほしい』は、照明技師渡辺生さんが16ミリキャメラでアルツハイマーの妻を撮影した映像を、佐藤監督が構成・編集した作品。限られた素材から、このように優しさにあふれる作品を作り上げることができる監督に脱帽した。

   美術館界隈にも気になる喫茶があったので、深煎りの珈琲で一休み。すぐさま市民会館へと急ぐ。次は3時間35分の長尺。途中休憩はあるが、体力勝負。

   13時15分、山形市民会館大ホール。
   『ニッポン国VS泉南石綿村』(原一男  2017  日本  215分)。インターナショナル・コンペティション部門。

   石綿(アスベスト)産業で栄えた大阪・泉南地域。この地のアスベスト被害の責任を求めて、工場の元労働者と家族、周辺住民らが起こした国家賠償請求訴訟の8年以上にわたる闘いの記録がこの作品である。裁判終結に至るまでの原告と弁護団の闘いのドラマを、原一男監督は見事に描き切った。
   原監督の代表作『ゆきゆきて神軍』(1987)や『全身小説家』(1994)は、ひとりの強烈なキャラクターの存在によって成立していたが、この作品の登場人物たちの個性もまた原監督によって引き出され、魅力的な群像劇となっている。上映後、ロビーで行われた質疑応答に登場した原監督と原告団の面々に対して熱い拍手が送られたが、それは間違いなく映画祭の中で最もエキサイティングなシーンのひとつだったのではないか。
   なお、この作品は、観客の投票で決定される市民賞を受賞した。順当な結果である。

   次も市民会館大ホール。入り口前で駐車している「屋台」の珈琲で、体力の回復に努める。

   18時15分、山形市民会館大ホール。
   『激情の時』(ジョアン・モレイラ・サレス  2017  ブラジル  127分)。インターナショナル・コンペティション部門。

   1966年、文化大革命初期の中国、1968年、五月革命のパリ、ソ連侵攻時のプラハ無名の人々によって撮影された映像と、サレス監督の母によって撮影された中国訪問の記録。ブラジルを代表するドキュメンタリー作家であるサレス監督は、これらの記録の意味について、歴史と個人の生について、問い続ける。
   監督の問いかけを私がそのまま理解できたかどうかは不明である。しかし、たしかに私は、パリとプラハのアーカイブ映像から何かを読み取ろうとしていた
   なお、この作品は特別賞を受賞した。

   20時40分、弘前勢のひとりと合流し、前夜と同じバルで情報交換。次の映画祭も、この店を利用することになりそうだ。


10月8日(日)

   前日に引き続き、山形美術館へ。特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」の2本のうち1本目の『SELF AND OTHERS』(2000)は以前観ていたので、2本目の『阿賀の記憶』の開始時刻まで美術館と旅篭町界隈を散策する。そういえば、街をゆっくり歩くことはほとんどなかった…  

   11時25分、山形美術館2。
   佐藤真監督特集「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来」。
   『阿賀の記憶』(佐藤真  2004  日本  55分) 

   新潟水俣病の舞台である阿賀野川のほとりに住む人々の生活を描いた『阿賀に生きる』(1992)から10年、佐藤監督はかつて映画に登場した人々に、そして土地に再びキャメラを向ける私たちは『阿賀に生きる』の続篇としての展開を期待するが、このドキュメンタリーはその期待を少しずつはぐらかしながら進行する。ここにあるのは、もっと普遍的な映像詩とも言うべきものだ。

   13時10分、美術館から旅篭町に向かい、「香味庵まるはち」にたどり着く。映画祭期間中、蔵を改装したこの和風レストランは深夜の交流の場「香味庵クラブ」として開放されている。
   山形入りしてから、まともな昼食をとっていなかった。別会場からたどり着いた妻と合流し、6年ぶりの定食「芋煮御膳」にありつく。今回初めての芋煮だ。
   その後、シネマ通りの喫茶を再訪。アイスコーヒーで喉を潤し、次の作品に備える。午後4時半から10時半まで、ほぼ休みなしで2本。カフェインで神経が昂るくらいがちょうどいい。
  
   16時30分、山形市民会館大ホール。
   『エクス・リブリスニューヨーク公共図書館』(フレデリック・ワイズマン  2016  アメリカ  205分)。インターナショナル・コンペティション部門。

   ニューヨーク各地の公共図書館を撮影し、図書館が取り組むさまざまな試みを紹介する3時間25分。各図書館の運営会議、討論会、講演会などの様子が見事な編集でまとめられているのだが、そこで描かれているのはアメリカの現在そのものだドキュメンタリーの世界では「神様」的な存在であるワイズマン監督の新作を、他の監督の作品と同じようにコンペ作品として当たり前に鑑賞し、しかも市民賞の投票の対象にする。これが、ヤマガタなのだ。

   20時、山形フォーラムへ急ぐ。次の作品は、上映作品が発表された日から鑑賞予定リストに入れていたもの。体力的にはほぼ限界だったが、始まってみると最初から最後までスクリーンに釘付けにされた。素晴らしい出会いだった

   20時20分、フォーラム5。
   『乱世備忘僕らの雨傘運動』(チャン・ジーウン  2016  香港  128分)。アジアの若手・新人監督の登竜門であるアジア千波万波部門21作品の中の1本。
  
   2014年9月から2ヶ月半にわたって続いた香港の雨傘運動(雨傘革命)。香港の民主的選挙を求める若者たちの運動をその内部から記録した作品。警官との対峙・衝突の生々しい映像と、テントの中の若者たちの日常生活・本音の会話の映像。監督自ら最前線で撮影しその両方を記録したこのドキュメンタリーは、台北金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた。
  なお、この作品は、アジア千波万波部門の最高賞・小川紳介賞を受賞した。

   23時15分、ホテル近くの居酒屋でビールと焼き鳥。これが、山形最後の夜。


10月9日(月)

   9時25分、ホテルチェックアウト。荷物を預けて、すぐ山形市中央公民館(アズ七日町)を目指す。映画祭の拠点である6階ホール、今年はこの日が初めてとなる。  

   10時、山形市中央公民館ホール。
   『願いと揺らぎ』(我妻和樹  2017  日本  146分)。インターナショナル・コンペティション部門。 
  
   2011年3月11日、東日本大震災で地震と津波に襲われた宮城県南三陸町波伝谷(はでんや)。そこに暮らす人々の復興への願いと心の揺らぎを、伝統行事「お獅子さま」復活をめぐる過程を軸に描く。
   我妻和樹監督は、2005年から民俗調査のため波伝谷に入り続け、2008年からは波伝谷でのドキュメンタリー映画制作を開始。震災までの3年間の映像を『波伝谷に生きる人びと』(2013、劇場公開版は2014)にまとめ、この作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭2013「ともにある」で上映された。『願いと揺らぎ』は『波伝谷に生きる人びと』のその後である。

   その前作も含めて、自分たちが上映できるかどうか考えながら、アズ七日町をあとにした。妻と合流したら、蕎麦屋で腹ごしらえして帰路に就く。

   14時10分、山交バスターミナルから仙台行きのバスに乗り込んだ。映画祭はまだまだ続くが、そろそろ現実に戻らなくてはなるまい。

   2年後、必ずまた、私(たち)は山形に来るだろう。


注1)
   次は山形国際ドキュメンタリー映画祭2017のHP。

注2)
   次は4年前の映画祭の報告。『越境するサル』№120「『越境するサル』的生活 2013~<ブラザー軒>と<ドキュメンタリー映画祭>と~」。


<後記>

   4年ぶりのヤマガタ報告。自分の作ったプログラムとその鑑賞記録をそのまま発信する。今回は全過程を報告したかった。

   次号は、映画祭期間中に出会った山形の珈琲についての報告。「珈琲放浪記」、初の山形篇。




(harappaメンバーズ=成田清文)
※「越境するサル」はharappaメンバーズの成田清文さんが発行しており、
個人通信として定期的に配信されております。

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